350年の歴史

1700年~1762年 : 旧政権の終焉 ― フランス植民地帝国の苦闘に巻き込まれ

ニューフランスに到着して以来、ジャン・バティスト・ラ・クロワ・ド・シュヴリエール・ド・サン・ヴァリエ司教はアカディアのポール・ロワヤルにコングレガシオンを設立することを望んでいました。ユトレヒト条約によりアカディアがイギリス領となったとき、司教はケープブレトン島のルイブール(現ルイスバーグ)に目を向けました。多くの困難にもかかわらず、1727年、コングレガシオンの一人のシスターが、この新しいルイブール要塞に第一歩を踏み入れました。同年12月までには、彼女の学校の寄宿生は22人に増えました。1734年には、コングレガシオンの6人のシスターが通学生と寄宿生の面倒を見ていました。ルイブール要塞はモントリオールからかなり離れていたため、要塞にノヴィス(修練者)を受け入れる許可さえ下りました。しかし、ルイブール要塞は数週間にわたる過酷な包囲を受けた後、1745年、イギリス海軍艦隊の支援を受けたニューイングランド市民軍の土地攻撃により陥落しました。降伏条件にもかかわらず、住民は過酷な扱いを受け、残骸化した家から追われ、女性は虐待され、町は略奪行為を受けました。コングレガシオンのシスターたちと生徒たちは船に追いやられ、フランスに送還されました。

結び

1653年、マルグリット・ブールジョワは、心には神への揺るぎない信頼を、手には必需品のみを包んだバルション(小さな包み)を持って、フランスからカナダに到着しました。マルグリットは、当時ではもっとも進んだ教育理論の知識に加え、この理論を10年以上実践した経験を持っていました。カナダでの約半世紀を通し、彼女は周りの人が何を求めているかを見抜く優れた洞察力を養い、それを満たす方法を見つけ、行動に移す意志と創造性を発揮しました。彼女は働く女性の共同体であるコングレガシオン・ド・ノートルダム・ド・モンレアルを創立し、必要ならニューフランスのどこにでも出かけ教育事業に専念しました。コングレガシオンの努力は、特に女性に向けられ、女性が有意義な生活を送り、自分が属する社会の発展に十分な役割を果たせるよう、宗教的・道徳的・実践的教育を提供しました。

初めに

コングレガシオン・ド・ノートルダムはその起源をモントリオールの創生期に遡り、現在なお積極的に教育活動を続けています。このような組織は数多くはありません。本サイトはコングレガシオンの変遷の要約であり、ニューフランス(ヌーヴェルフランス)の頃から現在までの5世紀の間、五大陸にわたって、コングレガシオンが成し遂げた事業や直面したチャレンジ、およびその時代の背景を、イラストや写真を用いて再現します。

 「350年の歴史」はシスターパトリシア・シンプソンCNDにより書かれました。

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